大学4年生の頭

自然との関わり方を模索し、自分の生き方を記録する。

何が書きたいのかわからないけど思いつくままに。

 

 

死後人間がどこへ行くか、僕はわからないとは思わない。

でも人間は今、死ぬことがあまりにも現実的でない場所で生きている。

 

わからないことに対して、人間は怖がる。

わかりやすいもののなかで暮らし、本質的なことを遠ざける。

 

 

「死」とはなんだ。

それは、役割だと思う。

 

自然のなかで、生き物は自分の役割を果たす。

人間の身体は死後、腐敗する。腐敗とは微生物の生命維持活動であり、また腐敗によって人間は新たな要素へ生まれかわる。

 

生物の「死」は、他の生物の「生」へ繋がるものだ。

人間は肉を食べる。その肉は、それまで生きていた命。その命の死によって、僕たちは生きる。

 

すべてのものが自然のなかで循環する。

そのことへの無関心は、何を引き起こすだろう。

 

 

自然界にもともと「汚い」ものなんてない。

でも、人間は人間にとって汚いものをできるだけ少なくする。

自分たちの「死」さえも、汚いものとして遠ざける。

 

 

肉や野菜は、人間の食べ物じゃない。

牛は牛であり、人参は人参で、人間と同じように生きている。

それを人間は、人間が生きるためにいただいているだけだ。

 

人間を侵すウイルスは、有害なものとしてこの世に生まれてきたわけじゃない。

人間にとっては憎らしい存在でも、彼らは彼らなりの役割の果たし方をしている。

 

人間にとって汚いものの排除は、他の生き物を本当の意味で殺している。

 

 

山や雲を見て気分が落ち着くのはなぜだろう。

それは、それらが自然の循環の役割を迷いなく果たしているから。

 

「根を張って」生きる。

迷いなき植物への、人間の憧れ。

 

 

人間の役割とはなんだろう。

考える必要はない。生きることそのものだから。

 

何かを「する」必要はない。

自分自身が「いる」ために、必要なことをしていればいい。

庭の草木のように。堤防から眺める海のように。

 

できれば自然の側で、繋がりを感じて暮らす。

自分と自分以外の間に壁を作らない。

 

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最近、気づいたこと。

人間は失いたくないものを守るために生きている。

 

今、この「失いたくないもの」があまりにも多い。

人間は物欲のままに、新しいものを求めている。

結果として大量のものを所有する人間は、それを守るために多くの時間を費やす。

 

守るものが多いことは幸せだと思う。

もしもそれが本当に大切なものならば。

 

でも、所有するすべてが大事なものだとは限らない。

大切でないものを所有することによる労力は、「いる」ためのものじゃない。

何よりも、多すぎる所有は本当に大切なものを見失わせる。

 

何を大事にして生きていくか。

このことが、人間の生き方を決める。

 

 

さて、どんな人間として生きよう。

大切なものを大切だと感じて、大切にするために。

自分にとって大切なものは自分だから、自分のためになる経験を求めている。

 

立派な人間になる。

それは東京の高層ビルに住むことではなくて、社会的地位の高い職に就くことでもない。Facebookの友達を増やすことでもないし、たくさんのものを所有することでもない。もっと自分の内側にあるもの。自分自身の中にあるもの。

 

でも、大切なものは自分だけ?

 

自分の他に大切だと思えるものが、僕にはまだみえにくい。

ピストルから放たれた銃弾を、自分の背中で受けて守りたいと思えるもの。

それくらい大事だと思えるものに、目を凝らしていこう。