大学生4年生の頭の中

人と自然との関わりのなかで持続可能な暮らしを考える、大学4年生のブログ。

僕が想像する近未来

 

夏休みに習慣化した早起きが早くも消え失せ、朝食のない生活をおくっている私ですが、皆さんご機嫌いかがでしょうか。

 

今回は、これから社会はどのように変わっていくのかを想像します。

今までの記事と違うのは、どんな社会に住みたいかという僕の主観を取り除いている点です。時代の流れを考えることがとても大切だと思う理由を伝えられたらと思います。

 

「便利」の使い方が良くない

それにしても、ここ数年でさらに便利になりましたね。先月iphone10のモデルが発表されました。ホームボタンがなく、新たに顔認証機能が追加されたようです。

僕が初めてiphoneを手にしたのが2014年で、5cでした。それから次々に新機種が登場し、その度に買い換える人が列をなしています。新しいものを求める需要は尽きないのですね。もっとも僕の場合は、なぜかすぐに壊れるので買い換えているんですが……。

 

便利な社会になることは良いことでしょう。

しかしその「使い方」が正しくない気がします。

 

労働時間が増えている

大人から聞いた話。

東京オリンピックを控えた1964年。東海道新幹線が開通しました。それまでは約6時間半かかったのが、4時間で東京ー大阪間を移動できるようになりました。今では約2時間半です。

さて、移動時間が短縮した結果、何が生じたでしょう。労働時間の増加です。早く着いた分、働ける時間が増えますね。そりゃサラリーマンは働かないとダメでしょう。便利さがもたらしたのは、必ずしも良い結果だけではなかったということです。

 

便利な社会で長時間労働

おかしいと思いませんか?

こんなに機械化が進んだ現代社会で、長時間労働が問題になっているんです。

人間のする仕事は減るはずなのに、働く時間は変わらない。この矛盾はどこから生まれるものなのでしょうか。

 

資本主義の必然

社会構造から考えてみれば、当たり前のことが起きているのでしょう。

国民の生活を保障するためには雇用を維持しなければならない。そのためには新しい仕事が必要になります。とくにこの競争社会においては、他より良いモノを作らなければ必要のない存在として消えてなくなりますね。

 

目指したい社会があるわけではない。

ただ、発展することでしか社会を維持できない。そんな政治経済システムの中で僕たちは生きています。

 

 

神の見えざる手

かの有名なアダム・スミスは、この発展が理想の社会を作ると考えました。

たとえばラーメン激戦区では、人気のないラーメン屋はすぐに潰れるでしょう。言い換えると、人気のあるお店だけが残るということです。そして、潰れたお店は修行して「おいしい」ラーメンが作れるようになるか、または違う食事を提供するお店として再出発することになりますね。そのお店もまた、人気があれば続き、なければ潰れるまでです。

分業制においては、各人が自分に合った仕事を選択できます。その中で消費者が求める「価値のある」モノだけが残るから、人間が手を加えずとも社会は少しずつ理想に近づいていくということです。

 

消費者が住みやすい社会

資本主義の発展のシステムを確認しました。

手を加えずとも発展する効率の良いシステムであることがわかりました。

 

ただこの理想とは、消費者にとっての理想でしょう。

良質のモノだけが残り、選択肢が増える。

 

でもそれは、悪質だと判断された生産者は排除されることでもあります。

生産者に過度な負担を強いて、弱者を葬ることによって発展する

これも資本主義の特徴なのです。

 

「生産者」に目を向ける

iphoneは良い例ですが、新しいモノが発売されれば消費者は手を叩いてそれを享受する。そんな時代がこれからも続いていくとすれば、生産者はさらに上質なモノをつくることを強いられます。作らなければ消えてなくなるのみです。

 

多くの人はこの社会においてモノやサービスの生産者であり、またその消費者でもあります。自分自身の新しいモノや便利な社会を求める欲望は、自分自身の首をも締めていることを自覚するべきではないでしょうか?

 

近い未来の話

僕が今の社会で抱く問題意識について述べてきました。

ここからは、これから社会はどう変わっていくかを予想してみたいと思います。

 

出稼ぎ労働者の時代

僕が一次産業を学びに行った田舎の多くでは、東南アジア諸国の人々が出稼ぎで働きに来ていました。農家が口を揃えて言うことは、日本人よりも彼らの方が何倍もよく働くということです。

お金を稼ぐために外国の国まで来る労働者に、日本人は意欲で負けているということでしょうか。おそらく一次産業の現場を含めた肉体労働は、出稼ぎ労働者のものになるでしょう。人口減少と地方の過疎化が進む日本では仕方のないことです。どこかの右翼が言いそうなことですが、日本人の肉体労働雇用は途上国の人間にとって代わられる。

 

しかし、それも長くは続かない。

東南アジアが主流になる前は、中国人労働者が出稼ぎに来ていたそうです。

しかし、中国の経済発展に伴ってその数は減少しています。現在の途上国も、おそらく資本主義社会のなかで発展を遂げていくことでしょう。中国だって社会主義市場経済です。これから自分たちの国が「豊か」になるのに、いつまでも日本に働きに来る物好きは多くはないでしょう。

 

あらゆるものが機械化

出稼ぎ労働者に代わるものは、機械しか思いつきません。

人間のいらない労働環境は今の時点ですでに相当進んでいると思います。

機械さえ稼働させておけば大量のものが生産できる。人間が生きるために必要な最低限の衣食住は、人間が働かなくても手に入れられる時代が来る気がします。

 

無料の時代

高校生のとき、文化祭でうちわを「売る」お手伝いをしたことがあります。うちわを配っている僕たちを見た高校生は、手を差し出して受け取ろうとするのです。しかしそれが商品だとわかると、驚いた顔をして買わずに立ち去ってゆく。

 

今の時代、うちわを有料で売ることは非常にむずかしいでしょう。

SNSやアプリも普及していて、様々なものを無料で手に入れらる時代です。ホームページさえ無料で公開できるんですから、今まで必要とされてきた基本的なものがこれから価格を下げていくことは想像にかたくありません。

 

インフレの終わり

高度経済成長の中で、日本は物価が上がり続けました。

何十年か前は、東京のアパートが1,000円で借りられることもあったそうです。

 

モノの値段は需要が供給を上回っているときに上昇します。

モノが足りていなかった当時は、その状態が常に続いていました。結果として物価が今の程度に達したわけです。

 

モノで溢れる大量生産・消費社会に至った現代社会では、消費者のニーズを満たすどころか、大量の余り物が捨てられるようになりましたね。いや、大量の余り物があるくらいの生産を消費者が無意識に求めているのでしょう。数あるコンビニの中から、品切れしたお店を選ぶ消費者はいないはずです。

 

何が言いたいかというと、長期的なスパンで考えたときに、今までのレベルでモノの値段が上昇することはないということです。

高度経済成長期に私腹を肥やした既得権益が順調になくなっていけば、生活必需品は限りなく無料に近い値段で売買される時代が来る気がします。

 

売買の中心は「こだわり」にシフトする

 肉体労働の雇用がなくなり、仕事が高度化していく未来、何がお金を生む仕事として残るのか。僕は、仕事に「こだわり」をもつことが何よりも重要になっていくと思っています。

 

たとえば今は有機農業が人気です。

 化学肥料を使用しない安全な作物であると考えられていますね。

ただ、ここで注目したいのは、安全であることが特徴である有機農業なのに、健康意識のさして高くない若者たちの間でも人気があることです。

 

なぜだと思いますか?

コンビニで添加物たっぷりの弁当を買い、油・にんにくマシマシのラーメンをすする人間たちさえもが「有機農業」という言葉に好感をもつ謎現象を考えていくと、今の時代が何を求めているかが見えてくる気がします。

 

こだわりをもつことそれ自体が評価されている。

 

生活必需品が安価で手に入れらる「豊かな」時代がこれからますます発展していくということは、今まで存在していた価値のあるものが、価値のない当たり前のものに変化していくことを意味します。自分たちの暮らしに価値を感じられなくなった現代人は、新しい価値を見出す作業を始めました。

 

安価なものが大量に店頭に並んでいます。それらのお店が大量に町に並んでいます。必要なものがいつでも手に入れられる時代になりました。消費者は大量にあるモノの中から欲しいと思うモノを選択します。

このような競争社会で生産者が生き残るためには、当たり前に加えた付加価値がなければいけなくなってしまった。

その付加価値の一つとして、有機農業が注目され始めたのでしょう。有機農業以外にも、動物福祉・エコ・フェアトレードなど様々なものがありますね。

これからの一次産業は、こだわりがなければ生き残れない気がします。

 

機械化が生産者を支える

資本主義社会はこれからも続くため、消費者はさらなるこだわりを求めて買い物をするようになります。その付加価値として、有機農業などが人気を獲得し始めました。

ただ、今までの仕事が単なる「当たり前」とみなされてしまう生産者は常に新しい価値を求められ、その負担は増えていく。

ここまでの話を整理すると、このようになります。やはり、消費者のニーズに応えるためには機械化が必要になっていく。「有機農業をしろ。機械は使うな」という考え方は、競争社会の中で立場の強い消費者の弱い者(生産者)いじめではありませんか?

 

 現代社会が行き着く未来

これは完全に僕の想像です。

おそらく、生活必需品は無料に近い値段で売買されるようになります。だから、生活するだけであるならば、お金を稼ぐ必要がなくなる。

しかし、人間という生き物は働くことをやめない。それは今までの歴史が証明済みです。競争社会の中で新しい価値を求め、新しい仕事を創っていくことでしょう。仕事はますます高度化していくはずです。

国家の視点から考えても、働かない人が世の中に増えることはよくありませんね。働く時間が減れば、治安は悪化します。そうならないために、国家はさらなる徴税を始めるかもしれません。税金を支払うために働く社会が来るのかもしれない。

 

このような生活インフラの整った社会の中で、「付加価値」の売買される時代。

これが僕の未来予想図です。

 

資本主義以外の選択肢

 資本主義以外の道に進む可能性はどれくらいあるでしょうか?

約50年ほど前の日本は、ロシアの社会主義に憧れを抱く若者たちによる学生運動が盛んに行われていました。

 

社会主義とは何でしょうか。

資本主義経済社会では、無駄なものが大量に生産されてしまいますね。そして、弱者は競争社会の中で淘汰されてしまいます。

そうならないように、国家が経済活動を支配する。国家の命令に従って必要な分だけの生産をし、競い合うのではなく平等にお金が配分される社会を作る。

 

なんて良い社会でしょう。

今の社会に必要なものが、社会主義を実現すれば手に入れられる気がしませんか?

 

社会主義は失敗した

社会主義の歴史から学べること。

 

社会主義は、平等な社会を実現するために自由を犠牲にします。

国家によって仕事を割り振られ、金持ちを作らないために労働を制限される。このように、上からの圧力によって無理やり平等を実現しようとすれば、必ずそれに抵抗する勢力が現れます。自由を求める国民に対して、国家はあまりにもひどいことをしてきました。

 

いかなる権力も、人間の生活を完全にコントロールすることはできない。

 

今のロシアや中国にも、革命の火種がくすぶっているようにみえます。

情報社会がここまで発展した現代で、社会主義が成功するとは思えません。

 

村づくり

今、僕の周りでは「村づくりがしたい」と夢を語る人たちがいます。なぜこのような人たちが増えているのかを考えてみます。

 

資本主義の前の社会

 

資本主義が導入される前の社会では、家族内労働が行われていました。

つまり、家族で食べる分の食料を家族内で作って食べるという自給自足生活です。当時子どもがたくさん産まれていたのは、畑を耕すための労働の担い手を作るためでした。

 

近代社会に入ると、家族内で行われていた生産活動が社会全体で行われるようになりました。自給自足ではなく、一人ひとりが特定の仕事に特化していく。このような分業制の社会では、人々はより良い仕事を求めて移動するようになりますね。職を探して家族や農村を離れた人々が集まって、現在の大都市が出来上がりました。

 

知らない人が隣人

農村社会にはコミュニティの強さがありました。なぜなら、社会の規模が小さかったため、お互いがどのような人であるかをよく認識していたからです。その農村にとって危険だと思う人物がいれば、村全体でそれを監視するシステムも持っていました。村八分もその一例ですね。

 

それが、大都市ではどうでしょう。

 

「子どもの面倒は教師と親の仕事だ。自分には関係ない。政治は政治家がやるものなのに、なぜ自分が参加しなければならないのか。治安が悪化しているのは警察のせいだ」

 

隣人の顔もわからない人たちが住む社会。職を求めて集まった人々の集合体である都市では、自分の仕事さえしっかり行えばいいと考える人が大多数です。

 

自分たちが住む社会に対してとても無関心になっていきます。

自分の社会について考えられない人が大勢いる社会が、良い社会に変わっていくとはあまり思えませんね。

 

自分の暮らしを作り直したい

「村づくりがしたい」というのはその反動でしょう。自分たちが暮らすために必要なモノを自分たちで作れるようになって、現代社会で壊れてしまっているコミュニティを作り直したいと考えている人たちによって、新しいライフスタイルが模索されています。

 

第三の◯◯主義?

「村づくり」の考えの本質は、資本主義社会の波に乗らない生き方を求めている点で社会主義ととても似ています。

 

国という単位によって実現しようとした社会主義に対して、村づくりはより小さなコミュニティによってそれを実現しようとしている。

だから、資本主義社会を変える仕組みとして「村づくり」が台頭することはないでしょう。もし台頭するほど大きなものになったら、それは社会主義と変わらないのではないでしょうか。しかし、資本主義社会の中で、このような新しいライフスタイルを選択する人たちは増えていく気がします。

 

 すべてをぶち壊すナショナリズム

今の世界情勢を見ていてとても怖いと思うのが、ナショナリズムです。

自分の国を最優先に考えて、自国の利益を侵害する「異質の他者」は排除していく。このような考え方が蔓延しています。

 

絶対に安全な社会は作れない

まず確認しておきたいことは、「異質の他者」など存在しないということです。

メキシコとの国境に壁を作ったところで、イスラム教国からの入国を止めたところで、不法移民やイスラム教徒がアメリカ社会から完全にいなくなることはありません。

 

グローバル化した社会のなかでは、自分と違う文化や価値観をもった人たちと同じ社会で生きていくことは避けられません。もし前述した政策を貫き通せば、虐げられるマイノリティの抵抗が紛争を引き起こすでしょう。

 

今の社会で安全な社会を作るには、それぞれの違う文化や歴史をもつ人たちの間の勢力を均衡した状態で保つ意外に方法はありません。

だから、国際情勢が常に緊張状態にあることは仕方のないことです。当たり前です。その緊張状態をどのようにして維持するか。いかにして本格的な武力衝突を防ぐか。それを考えた政治を望みます。

 

社会権というもの

なぜナショナリズムの話をするかといえば、それがこれまで築き上げた社会を壊し、ふりだしに戻してしまう危険があるからです。

 

いつの時代も、少数者の権利が虐げられてきました。

すべての人が平等に暮らすことを求めた社会主義を失敗しましたが、資本主義社会の歴史の中でも常に弱者を救う方法が考えられてきました。

女性・黒人・ユダヤ人・部落・LGBTなど、マイノリティの権利が侵される事件が起こるたびに社会問題となり、それを保護する政策が国によって実施されました。

自由な社会の中でも少しずつ平等に近づいているのです。

 

ナショナリズムの本質

ナショナリズムは、「自分と同じ仲間」と自分と異なる他者を区別することによって成立します。蛇足ですがこの区別も曖昧で、自分が日本人であるという意識も魔法のようなものですよね。

自分たちを優先する代わりに、それ以外の人を優先しない。

この考え方は、せっかく少しずつ平等に近づいてきた社会を止めるということです。繰り返しになりますが、グローバル社会の中では他人を完全に排除することはできません。対立が生じて、再び少数者の権利侵害が行われることになるでしょう。

 

もし戦争が起きたら

僕がこの記事で考えてきた将来の社会像は、「戦争が起きなければ」という前提の上で成立します。もし戦争ということになるならば、僕たちはまた同じ歴史を繰り返す必要があるでしょう。そんな面倒なことにはなってほしくないものです。

 

価値のあることをする

僕たちは、これからどのような社会になるのかがとてもわかりにくい時代を生きています。自分が今していることは、本当に社会に必要なことなのだろうか。そんなことを考えながら、または漠然と感じながら働く人は多いのではないでしょうか。

 

価値があるかどうかを判断するためには、どのような社会を目指しているかというゴールがあり、そのために必要なことかどうかを考える必要があります。

 

これから社会はどのように変わっていくのか。

皆さんはどんな未来を想像しますか?

 

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幕末志士たちの想像した未来も考えてみる。