大学4年生の頭

人間と自然との関わりを探す、一次産業志望の大学生ブログ。テーマはこれからの社会と生き方。

人間と自然

人と自然がうまく関わり合って生きていくために必要なことは何でしょう。

とても漠然としたテーマなので、初めに僕の体験談をお話させていただきます。

 

京都の北部にある人口70人の限界集落久多。今年の2月、僕は村留学を通してこの村を訪れました。村留学とは、持続可能性をテーマに社会のこれからを考える、大学生を対象とした教育プロジェクトです。

 

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村・留学

 

僕が行った時の久多の風景はこんな感じ。まあなんというか、集落が雪で埋もれていました。笑

 

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 宿舎からみた風景。

 

この雪国(?)での滞在中、鹿の狩猟・解体に立ち会わせていただきました。

 

鹿を殺して、食べる……。

一連の光景を見ていて疑問に思ったこと。

 

人間には鹿を殺す権利があるのか?

 

ということです。人を殺してはいけないのに鹿は殺していいということが、自分の中で矛盾したことのように思えてなりませんでした。

 

鹿を殺す理由で、食べるということ以外に印象に残っている話があります。個数の管理です。

 

 鹿の個数が増大すると、食べ物になる植物が枯れる。食べ尽くした鹿は山から下り、田畑を荒らすようになる。そもそも、植物が枯れて森の保水力が低下すれば、田畑に水が注がれなくなり、育たない。だから、一定数の鹿を殺す必要があるということです。

 

ここで考えなければならないことは、人間には自然をコントロールする義務があるのかということです。

 

僕は、人間も自然であるということを自覚することが大事だと思っています。

 

人間が木を切る。人間が鹿を殺すというと、人間という悪が自然を搾取しているように聞こえるけど、すべては自然で、そのサイクルのなかで生きている。

具体的にいうと、人間が鹿を殺すことと同じように、人間も災害に巻き込まれて死ぬことがある。

何が何を殺すという相関関係で考えるのではなく、すべての生物は自然に脅かされながら、自然の摂理のなかで生きているということです。

 

まとめ

もし自然の摂理というものがあるなら、今生じている環境問題をどう説明するかが問題になると思います。

 

僕は、人間が必要以上のものを生産・消費していることが、環境問題の根源にあると考えています。循環のバランスが人間によって崩れている。だから、人間が自然をコントロールするのではなく、人間は自然のなかで自分たちの役割を適正に果たすことを考えるべきではないでしょうか。

 

ブロガソン5記事目。

頭が疲れてきました。日を改めてわかりにくい箇所を修正します。笑