大学生4年生の頭の中

人と自然との関わりのなかで持続可能な暮らしを考える、大学4年生のブログ。

僕が想像する近未来

 

夏休みに習慣化した早起きが早くも消え失せ、朝食のない生活をおくっている私ですが、皆さんご機嫌いかがでしょうか。

 

今回は、これから社会はどのように変わっていくのかを想像します。

今までの記事と違うのは、どんな社会に住みたいかという僕の主観を取り除いている点です。時代の流れを考えることがとても大切だと思う理由を伝えられたらと思います。

 

「便利」の使い方が良くない

それにしても、ここ数年でさらに便利になりましたね。先月iphone10のモデルが発表されました。ホームボタンがなく、新たに顔認証機能が追加されたようです。

僕が初めてiphoneを手にしたのが2014年で、5cでした。それから次々に新機種が登場し、その度に買い換える人が列をなしています。新しいものを求める需要は尽きないのですね。もっとも僕の場合は、なぜかすぐに壊れるので買い換えているんですが……。

 

便利な社会になることは良いことでしょう。

しかしその「使い方」が正しくない気がします。

 

労働時間が増えている

大人から聞いた話。

東京オリンピックを控えた1964年。東海道新幹線が開通しました。それまでは約6時間半かかったのが、4時間で東京ー大阪間を移動できるようになりました。今では約2時間半です。

さて、移動時間が短縮した結果、何が生じたでしょう。労働時間の増加です。早く着いた分、働ける時間が増えますね。そりゃサラリーマンは働かないとダメでしょう。便利さがもたらしたのは、必ずしも良い結果だけではなかったということです。

 

便利な社会で長時間労働

おかしいと思いませんか?

こんなに機械化が進んだ現代社会で、長時間労働が問題になっているんです。

人間のする仕事は減るはずなのに、働く時間は変わらない。この矛盾はどこから生まれるものなのでしょうか。

 

資本主義の必然

社会構造から考えてみれば、当たり前のことが起きているのでしょう。

国民の生活を保障するためには雇用を維持しなければならない。そのためには新しい仕事が必要になります。とくにこの競争社会においては、他より良いモノを作らなければ必要のない存在として消えてなくなりますね。

 

目指したい社会があるわけではない。

ただ、発展することでしか社会を維持できない。そんな政治経済システムの中で僕たちは生きています。

 

 

神の見えざる手

かの有名なアダム・スミスは、この発展が理想の社会を作ると考えました。

たとえばラーメン激戦区では、人気のないラーメン屋はすぐに潰れるでしょう。言い換えると、人気のあるお店だけが残るということです。そして、潰れたお店は修行して「おいしい」ラーメンが作れるようになるか、または違う食事を提供するお店として再出発することになりますね。そのお店もまた、人気があれば続き、なければ潰れるまでです。

分業制においては、各人が自分に合った仕事を選択できます。その中で消費者が求める「価値のある」モノだけが残るから、人間が手を加えずとも社会は少しずつ理想に近づいていくということです。

 

消費者が住みやすい社会

資本主義の発展のシステムを確認しました。

手を加えずとも発展する効率の良いシステムであることがわかりました。

 

ただこの理想とは、消費者にとっての理想でしょう。

良質のモノだけが残り、選択肢が増える。

 

でもそれは、悪質だと判断された生産者は排除されることでもあります。

生産者に過度な負担を強いて、弱者を葬ることによって発展する

これも資本主義の特徴なのです。

 

「生産者」に目を向ける

iphoneは良い例ですが、新しいモノが発売されれば消費者は手を叩いてそれを享受する。そんな時代がこれからも続いていくとすれば、生産者はさらに上質なモノをつくることを強いられます。作らなければ消えてなくなるのみです。

 

多くの人はこの社会においてモノやサービスの生産者であり、またその消費者でもあります。自分自身の新しいモノや便利な社会を求める欲望は、自分自身の首をも締めていることを自覚するべきではないでしょうか?

 

近い未来の話

僕が今の社会で抱く問題意識について述べてきました。

ここからは、これから社会はどう変わっていくかを予想してみたいと思います。

 

出稼ぎ労働者の時代

僕が一次産業を学びに行った田舎の多くでは、東南アジア諸国の人々が出稼ぎで働きに来ていました。農家が口を揃えて言うことは、日本人よりも彼らの方が何倍もよく働くということです。

お金を稼ぐために外国の国まで来る労働者に、日本人は意欲で負けているということでしょうか。おそらく一次産業の現場を含めた肉体労働は、出稼ぎ労働者のものになるでしょう。人口減少と地方の過疎化が進む日本では仕方のないことです。どこかの右翼が言いそうなことですが、日本人の肉体労働雇用は途上国の人間にとって代わられる。

 

しかし、それも長くは続かない。

東南アジアが主流になる前は、中国人労働者が出稼ぎに来ていたそうです。

しかし、中国の経済発展に伴ってその数は減少しています。現在の途上国も、おそらく資本主義社会のなかで発展を遂げていくことでしょう。中国だって社会主義市場経済です。これから自分たちの国が「豊か」になるのに、いつまでも日本に働きに来る物好きは多くはないでしょう。

 

あらゆるものが機械化

出稼ぎ労働者に代わるものは、機械しか思いつきません。

人間のいらない労働環境は今の時点ですでに相当進んでいると思います。

機械さえ稼働させておけば大量のものが生産できる。人間が生きるために必要な最低限の衣食住は、人間が働かなくても手に入れられる時代が来る気がします。

 

無料の時代

高校生のとき、文化祭でうちわを「売る」お手伝いをしたことがあります。うちわを配っている僕たちを見た高校生は、手を差し出して受け取ろうとするのです。しかしそれが商品だとわかると、驚いた顔をして買わずに立ち去ってゆく。

 

今の時代、うちわを有料で売ることは非常にむずかしいでしょう。

SNSやアプリも普及していて、様々なものを無料で手に入れらる時代です。ホームページさえ無料で公開できるんですから、今まで必要とされてきた基本的なものがこれから価格を下げていくことは想像にかたくありません。

 

インフレの終わり

高度経済成長の中で、日本は物価が上がり続けました。

何十年か前は、東京のアパートが1,000円で借りられることもあったそうです。

 

モノの値段は需要が供給を上回っているときに上昇します。

モノが足りていなかった当時は、その状態が常に続いていました。結果として物価が今の程度に達したわけです。

 

モノで溢れる大量生産・消費社会に至った現代社会では、消費者のニーズを満たすどころか、大量の余り物が捨てられるようになりましたね。いや、大量の余り物があるくらいの生産を消費者が無意識に求めているのでしょう。数あるコンビニの中から、品切れしたお店を選ぶ消費者はいないはずです。

 

何が言いたいかというと、長期的なスパンで考えたときに、今までのレベルでモノの値段が上昇することはないということです。

高度経済成長期に私腹を肥やした既得権益が順調になくなっていけば、生活必需品は限りなく無料に近い値段で売買される時代が来る気がします。

 

売買の中心は「こだわり」にシフトする

 肉体労働の雇用がなくなり、仕事が高度化していく未来、何がお金を生む仕事として残るのか。僕は、仕事に「こだわり」をもつことが何よりも重要になっていくと思っています。

 

たとえば今は有機農業が人気です。

 化学肥料を使用しない安全な作物であると考えられていますね。

ただ、ここで注目したいのは、安全であることが特徴である有機農業なのに、健康意識のさして高くない若者たちの間でも人気があることです。

 

なぜだと思いますか?

コンビニで添加物たっぷりの弁当を買い、油・にんにくマシマシのラーメンをすする人間たちさえもが「有機農業」という言葉に好感をもつ謎現象を考えていくと、今の時代が何を求めているかが見えてくる気がします。

 

こだわりをもつことそれ自体が評価されている。

 

生活必需品が安価で手に入れらる「豊かな」時代がこれからますます発展していくということは、今まで存在していた価値のあるものが、価値のない当たり前のものに変化していくことを意味します。自分たちの暮らしに価値を感じられなくなった現代人は、新しい価値を見出す作業を始めました。

 

安価なものが大量に店頭に並んでいます。それらのお店が大量に町に並んでいます。必要なものがいつでも手に入れられる時代になりました。消費者は大量にあるモノの中から欲しいと思うモノを選択します。

このような競争社会で生産者が生き残るためには、当たり前に加えた付加価値がなければいけなくなってしまった。

その付加価値の一つとして、有機農業が注目され始めたのでしょう。有機農業以外にも、動物福祉・エコ・フェアトレードなど様々なものがありますね。

これからの一次産業は、こだわりがなければ生き残れない気がします。

 

機械化が生産者を支える

資本主義社会はこれからも続くため、消費者はさらなるこだわりを求めて買い物をするようになります。その付加価値として、有機農業などが人気を獲得し始めました。

ただ、今までの仕事が単なる「当たり前」とみなされてしまう生産者は常に新しい価値を求められ、その負担は増えていく。

ここまでの話を整理すると、このようになります。やはり、消費者のニーズに応えるためには機械化が必要になっていく。「有機農業をしろ。機械は使うな」という考え方は、競争社会の中で立場の強い消費者の弱い者(生産者)いじめではありませんか?

 

 現代社会が行き着く未来

これは完全に僕の想像です。

おそらく、生活必需品は無料に近い値段で売買されるようになります。だから、生活するだけであるならば、お金を稼ぐ必要がなくなる。

しかし、人間という生き物は働くことをやめない。それは今までの歴史が証明済みです。競争社会の中で新しい価値を求め、新しい仕事を創っていくことでしょう。仕事はますます高度化していくはずです。

国家の視点から考えても、働かない人が世の中に増えることはよくありませんね。働く時間が減れば、治安は悪化します。そうならないために、国家はさらなる徴税を始めるかもしれません。税金を支払うために働く社会が来るのかもしれない。

 

このような生活インフラの整った社会の中で、「付加価値」の売買される時代。

これが僕の未来予想図です。

 

資本主義以外の選択肢

 資本主義以外の道に進む可能性はどれくらいあるでしょうか?

約50年ほど前の日本は、ロシアの社会主義に憧れを抱く若者たちによる学生運動が盛んに行われていました。

 

社会主義とは何でしょうか。

資本主義経済社会では、無駄なものが大量に生産されてしまいますね。そして、弱者は競争社会の中で淘汰されてしまいます。

そうならないように、国家が経済活動を支配する。国家の命令に従って必要な分だけの生産をし、競い合うのではなく平等にお金が配分される社会を作る。

 

なんて良い社会でしょう。

今の社会に必要なものが、社会主義を実現すれば手に入れられる気がしませんか?

 

社会主義は失敗した

社会主義の歴史から学べること。

 

社会主義は、平等な社会を実現するために自由を犠牲にします。

国家によって仕事を割り振られ、金持ちを作らないために労働を制限される。このように、上からの圧力によって無理やり平等を実現しようとすれば、必ずそれに抵抗する勢力が現れます。自由を求める国民に対して、国家はあまりにもひどいことをしてきました。

 

いかなる権力も、人間の生活を完全にコントロールすることはできない。

 

今のロシアや中国にも、革命の火種がくすぶっているようにみえます。

情報社会がここまで発展した現代で、社会主義が成功するとは思えません。

 

村づくり

今、僕の周りでは「村づくりがしたい」と夢を語る人たちがいます。なぜこのような人たちが増えているのかを考えてみます。

 

資本主義の前の社会

 

資本主義が導入される前の社会では、家族内労働が行われていました。

つまり、家族で食べる分の食料を家族内で作って食べるという自給自足生活です。当時子どもがたくさん産まれていたのは、畑を耕すための労働の担い手を作るためでした。

 

近代社会に入ると、家族内で行われていた生産活動が社会全体で行われるようになりました。自給自足ではなく、一人ひとりが特定の仕事に特化していく。このような分業制の社会では、人々はより良い仕事を求めて移動するようになりますね。職を探して家族や農村を離れた人々が集まって、現在の大都市が出来上がりました。

 

知らない人が隣人

農村社会にはコミュニティの強さがありました。なぜなら、社会の規模が小さかったため、お互いがどのような人であるかをよく認識していたからです。その農村にとって危険だと思う人物がいれば、村全体でそれを監視するシステムも持っていました。村八分もその一例ですね。

 

それが、大都市ではどうでしょう。

 

「子どもの面倒は教師と親の仕事だ。自分には関係ない。政治は政治家がやるものなのに、なぜ自分が参加しなければならないのか。治安が悪化しているのは警察のせいだ」

 

隣人の顔もわからない人たちが住む社会。職を求めて集まった人々の集合体である都市では、自分の仕事さえしっかり行えばいいと考える人が大多数です。

 

自分たちが住む社会に対してとても無関心になっていきます。

自分の社会について考えられない人が大勢いる社会が、良い社会に変わっていくとはあまり思えませんね。

 

自分の暮らしを作り直したい

「村づくりがしたい」というのはその反動でしょう。自分たちが暮らすために必要なモノを自分たちで作れるようになって、現代社会で壊れてしまっているコミュニティを作り直したいと考えている人たちによって、新しいライフスタイルが模索されています。

 

第三の◯◯主義?

「村づくり」の考えの本質は、資本主義社会の波に乗らない生き方を求めている点で社会主義ととても似ています。

 

国という単位によって実現しようとした社会主義に対して、村づくりはより小さなコミュニティによってそれを実現しようとしている。

だから、資本主義社会を変える仕組みとして「村づくり」が台頭することはないでしょう。もし台頭するほど大きなものになったら、それは社会主義と変わらないのではないでしょうか。しかし、資本主義社会の中で、このような新しいライフスタイルを選択する人たちは増えていく気がします。

 

 すべてをぶち壊すナショナリズム

今の世界情勢を見ていてとても怖いと思うのが、ナショナリズムです。

自分の国を最優先に考えて、自国の利益を侵害する「異質の他者」は排除していく。このような考え方が蔓延しています。

 

絶対に安全な社会は作れない

まず確認しておきたいことは、「異質の他者」など存在しないということです。

メキシコとの国境に壁を作ったところで、イスラム教国からの入国を止めたところで、不法移民やイスラム教徒がアメリカ社会から完全にいなくなることはありません。

 

グローバル化した社会のなかでは、自分と違う文化や価値観をもった人たちと同じ社会で生きていくことは避けられません。もし前述した政策を貫き通せば、虐げられるマイノリティの抵抗が紛争を引き起こすでしょう。

 

今の社会で安全な社会を作るには、それぞれの違う文化や歴史をもつ人たちの間の勢力を均衡した状態で保つ意外に方法はありません。

だから、国際情勢が常に緊張状態にあることは仕方のないことです。当たり前です。その緊張状態をどのようにして維持するか。いかにして本格的な武力衝突を防ぐか。それを考えた政治を望みます。

 

社会権というもの

なぜナショナリズムの話をするかといえば、それがこれまで築き上げた社会を壊し、ふりだしに戻してしまう危険があるからです。

 

いつの時代も、少数者の権利が虐げられてきました。

すべての人が平等に暮らすことを求めた社会主義を失敗しましたが、資本主義社会の歴史の中でも常に弱者を救う方法が考えられてきました。

女性・黒人・ユダヤ人・部落・LGBTなど、マイノリティの権利が侵される事件が起こるたびに社会問題となり、それを保護する政策が国によって実施されました。

自由な社会の中でも少しずつ平等に近づいているのです。

 

ナショナリズムの本質

ナショナリズムは、「自分と同じ仲間」と自分と異なる他者を区別することによって成立します。蛇足ですがこの区別も曖昧で、自分が日本人であるという意識も魔法のようなものですよね。

自分たちを優先する代わりに、それ以外の人を優先しない。

この考え方は、せっかく少しずつ平等に近づいてきた社会を止めるということです。繰り返しになりますが、グローバル社会の中では他人を完全に排除することはできません。対立が生じて、再び少数者の権利侵害が行われることになるでしょう。

 

もし戦争が起きたら

僕がこの記事で考えてきた将来の社会像は、「戦争が起きなければ」という前提の上で成立します。もし戦争ということになるならば、僕たちはまた同じ歴史を繰り返す必要があるでしょう。そんな面倒なことにはなってほしくないものです。

 

価値のあることをする

僕たちは、これからどのような社会になるのかがとてもわかりにくい時代を生きています。自分が今していることは、本当に社会に必要なことなのだろうか。そんなことを考えながら、または漠然と感じながら働く人は多いのではないでしょうか。

 

価値があるかどうかを判断するためには、どのような社会を目指しているかというゴールがあり、そのために必要なことかどうかを考える必要があります。

 

これから社会はどのように変わっていくのか。

皆さんはどんな未来を想像しますか?

 

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幕末志士たちの想像した未来も考えてみる。

牧場で暮らしてわかったこと

 

人生最後の夏休みが終わる。

小学生から数えれば16回目の夏休みで、長い学生生活だったなと、その終わりを受け入れる確かな覚悟を自分のなかに感じています。

夏休み最後の1日の今日は、岡山県にある日本三名園・後楽園に浸ってブログでも書くことにします。

 

この1ヶ月間、僕は香川県にある広野牧場というところでインターン生として住み込みで働かせていただいていました。

 

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なので今回は、牧場で暮らして感じたこをまとめてみようと思います。

 

暮らしへの興味

 

僕が一次産業に興味をもったきっかけの話はこのブログの定番ですが、ここでも簡単に紹介しておきます。

 

都会で生まれ育った僕にとって、自分が普段食べているものがとのように作られているのかということについては、ほとんど知る機会がありませんでした。

 

大学生になり、一人暮らしを始めました。多少なりとも自立したいという気持ちを抱いていた僕にとって、初めての一人暮らしは想像とは違うものでした。

というのも今までの自分は、自分が生きるために必要なものがどのように作られているのかについてあまりにも無知だったことに気づいたからです。

 

自分にとって1番大切な部分に対して今まで興味をもたずに暮らしてきたこと。

生きる力を身につけて、自立した強い人間になりたいという自分自身の目標をもって、自分の目で生産現場を見て回ることにしたんです。

 

牧場を選んだわけ

 

今回広野牧場を選んだ理由は、消費者と繋がる術を備えている牧場だと思ったからです。

 

この牧場は牛を育てる以外にジェラート屋とピザ屋を経営していて、お客さんの顔がみえる生産現場です。

今まで消費者として生産現場を意識できなかった僕にとって、伝える生産者というキーワードに強く惹かれました。

 

また、この牧場は酪農教育ファームの認証を受けていて、小中学生に対して農業という仕事の選択肢や命をいただくとはどういうことかを伝えています。

自分の食べているものに日頃から関心をもつにはどうすればいいのかを考える機会にもなると思いました。

 

以上が参加したきっかけです。

 

 牧場で学んだこと

 

本題です。牧場で学んだことは何かと聞かれれば、やはり一番は作業そのものでした。つまり、牛乳と肉を作るということです。

 

ただ、作業についてこのブログで書いてしまうと卒業論文なみに長くなりそうなので割愛するとして、印象に残ったことを何個か書き残すことにします。

 

忍耐力を試された

 

最初の2週間は仔牛のお世話をする仕事をさせていただきました。そのなかで1番大変だと思ったことは、哺乳瓶でミルクをあげる作業でした。

 

生まれてから3日以内の仔牛は、バケツではなく、哺乳瓶でミルクを飲みます。

1回で4ℓの量を飲ませるのですが、最初はミルクだということに気づいてくれずに飲まない仔牛もいました。お腹が空いている子は、口に指を突っ込むとパクパクと口を動かしてくれる。飲みたいという意思表示をしてくれているのに、いざ飲ませようとするとなぜか飲んでくれない。

 

初乳といって、最初に飲む牛乳は栄養が満点で、それを飲むことによって免疫や健康を整えます。だから、飲まないとその後に危ないことになるかもしれない。

 

仔牛には本能で備わっているらしいですが、頭突きなどで乳を刺激することでミルクを出やすくするのだそうで、仔牛には随分と身体的な痛みをくらってしまいました。

 

あなたのために飲ませてあげてるのに……。

 

何もわからない赤ちゃんに対してそんなことを考えてしまう。忍耐力が足りていないと思うようになりました。

 

親牛の世話でも同じことを感じました。

搾乳の際に牛をパーラー(搾乳室)まで移動させなければいけません。

 

牛は人間の力では動かせない。動いてもらうために、叩いたり声をかけたり必死で伝えるのですが、簡単に言うことを聞いてくれるほど牛は素直じゃない(少なくとも僕に対しては)。動いてくれないどころか、糞尿アタックを食らって逆に追い詰められることもあるのです。

 

僕はその時まで、仕事を早く終わらせるためにどうすればいいかということに考えをとらわれていたのかもしれません。

 

それに加えて、生き物の相手をするということは思い通りにならないことが多いものだということを実感しました。

 

一次産業の現場で働くためには、我慢強さと度量の大きさが必要になってくるのでしょう。

 

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 ベストショット。

 

気づく力が足りなかった 

 

滞在中に、仔牛が一匹死にました。

死んだ日の朝、僕はその仔牛に哺乳瓶でミルクをあげました。

その子はなんだかとてもぐったりしていて、ミルクもほとんど飲まず、生まれて3日経つのにまだうまいように立てない。

 

「元気のない子だな……」

 

なんとなく心配でしたが、まさか死ぬとは思っていませんでした。

 

牧場では、見回りという作業があります。

牛がただ元気に過ごしているかどうかだけではなく、発情しているか、妊娠しているか、下痢をしていないかなどを見て回るのです。搾乳の際も、乳房炎のチェックは欠かしません。

 

機械ほど正確ではない。人間のように思っていることを言葉で伝えることができない。

だから、お世話をする側の人間の方から気づいてあげなければいけないのだと感じました。

 

牛は何のために生きるのか

 

仔牛の競りに連れていってもらいました。

 

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牛が乳を出すためには、人間と同じように子どもを産む必要があります。牛乳を搾るために人工授精で牛を妊娠させるので、僕がいた1ヶ月間の間で何頭もの新しい命が生まれ、出産にも5.6回程立ち会いました。

 

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 産まれた直後、仔牛を舐める母親。

 

乳牛の仔牛は10万弱なのに対して、肉牛はオスなら30万を超える値段で売れます。

なので妊娠させるとき、乳牛(ホルスタイン)に肉牛(和牛)の種をつけることで肉牛の血を入れた混血(F1)にして、高く売るのです。

 

競りはけっこう悲しい。

 

毎日お世話をしていた牛が、だいたい30秒くらいで値がつけられて違う人のところへ連れていかれる。残酷にも、身体の形が整っていない牛は売れ残って戻ってくる。

肉牛はもちろんだけど、乳牛だって乳がでなくなったら肉として出荷される。

 

広野牧場はとても牛を大切にする牧場で、病気になった牛は治る可能性がなくなるまで治療を続けます。

 

でも結局、肉になるんだよな。

 

そんなことを考えて、悩みました。

そして僕は自分のこと、つまり人間のこととして考えてみることにしました。

 

人間もいつか必ず死ぬ。

それは、人生どんなに苦労しても、楽しても、頑張っても、無為に生きても、どんな風に生きても結果は等しいということ。

 

でも、結局死ぬんだから頑張る意味がないのかといったら、きっとそうじゃない。

死ぬことよりも、生まれてから死ぬまでの過程でどんな人生を歩んだかということが大事なんじゃないか、と。

 

牛だって同じ。

結局人間のために死ぬ。

 

でも、それまでの間少しでも良いと思える人生をおくらせてあげる。

 

そのことが重要なんじゃないかな、と。

 

酪農教育ファームの研修会に参加させていただいた時に聞いた言葉。

 

「屠畜場に行く牛に、頑張ってね、と言う。ただ殺される牛が何を頑張るのかって思う。でも、その牛はこれから肉になって、みんなの食卓に並んで、栄養になってくれる。だから、頑張ってね、と言う」

 

酪農には命の温かさがある。

牛の体温から直接伝わるその温かさを、生産者から消費者へ届けることは、とても大切な意義があると思いました。

 

 

おいしい牛乳を作りたい

 

 この牧場を選んだきっかけが、消費者に伝える手段をもっていることであることは前述しました。そのジェラート屋とピザ屋でも、1日ずつ研修をさせていただきました。

 

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 ピザ屋でパン作りもしました。

 

メニューをみて、どれがおすすめか聞いてきたお客さんに対して、ジェラート屋はこんな風に答えます。

 

「私たちのお店は、牧場直送のミルクが売りなので、まずはミルク味を食べてみてください」

 

 ピザ屋も同様、1番シンプルにチーズと生地の味がわかるマルゲリータをおすすめします。

 

自分たちが作ったから。おいしいと胸を張って売りたい。食べてもらいたい。

 

そう思えることは、生産者により安全でおいしい牛乳を作ろうと思える気持ちが芽生えるきっかけになる。

 

生産者と消費者が繋がることは、双方にメリットのあることなのだと実感しました。

 

一方で、牧場の作業が忙しいなかで、牧場で働く人自身がお店で働く時間をつくることは大変なこと。やはり、本格的なお店をやるとなれば、牧場で働く人以外の担当が必要かもしれない。

 

そういうなかでも、生産者自身の気持ちをお客さんに伝えるためにどんな工夫が必要なのかを考えさせられました。

 

この牧場で働くなかで、やはり伝える生産者になりたいと強く思いました。

 

 

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 最後にパシャリ

 

これからについて。

 

考えてみれば、一次産業の現場を回ると決めてからいろいろなインターンに参加させていただくことができました。この夏休みでお世話になった土佐ひかりCDMでも広野牧場でも、たくさんのことを勉強させていただきました。

 

ネットで情報が擬似的に手に入る時代のなかでも、先入観や固定観念を捨ててできるだけ多くのものを自分の目で見て、肌で感じたい。

 

そう思ってきたけど、やっぱり今まで自分がやってきたことは仕事の入口のドアを開ける程度のことで、何かを「した」わけじゃない。

 

それぞれの現場で人生をかけて働く人たちをみて、自分も何か一つのことに情熱を注いでみたいという思いでウズウズしています。

 

卒業まであと半年。

 

その「何か」はもう見つかっているのかもしれないけど、あと少し、旅に終止符を打つ日を意識しつつ放浪してみようと思います。

 

雨が強くなってきたのでこの辺で。

もう秋ですね。寒いです。みなさんも体調にはお気をつけて。それでは!

 

 

人間と自然

人と自然がうまく関わり合って生きていくために必要なことは何でしょう。

とても漠然としたテーマなので、初めに僕の体験談をお話させていただきます。

 

京都の北部にある人口70人の限界集落久多。今年の2月、僕は村留学を通してこの村を訪れました。村留学とは、持続可能性をテーマに社会のこれからを考える、大学生を対象とした教育プロジェクトです。

 

詳細はこちら↓

村・留学

 

僕が行った時の久多の風景はこんな感じ。まあなんというか、集落が雪で埋もれていました。笑

 

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 宿舎からみた風景。

 

この雪国(?)での滞在中、鹿の狩猟・解体に立ち会わせていただきました。

 

鹿を殺して、食べる……。

一連の光景を見ていて疑問に思ったこと。

 

人間には鹿を殺す権利があるのか?

 

ということです。人を殺してはいけないのに鹿は殺していいということが、自分の中で矛盾したことのように思えてなりませんでした。

 

鹿を殺す理由で、食べるということ以外に印象に残っている話があります。個数の管理です。

 

 鹿の個数が増大すると、食べ物になる植物が枯れる。食べ尽くした鹿は山から下り、田畑を荒らすようになる。そもそも、植物が枯れて森の保水力が低下すれば、田畑に水が注がれなくなり、育たない。だから、一定数の鹿を殺す必要があるということです。

 

ここで考えなければならないことは、人間には自然をコントロールする義務があるのかということです。

 

僕は、人間も自然であるということを自覚することが大事だと思っています。

 

人間が木を切る。人間が鹿を殺すというと、人間という悪が自然を搾取しているように聞こえるけど、すべては自然で、そのサイクルのなかで生きている。

具体的にいうと、人間が鹿を殺すことと同じように、人間も災害に巻き込まれて死ぬことがある。

何が何を殺すという相関関係で考えるのではなく、すべての生物は自然に脅かされながら、自然の摂理のなかで生きているということです。

 

まとめ

もし自然の摂理というものがあるなら、今生じている環境問題をどう説明するかが問題になると思います。

 

僕は、人間が必要以上のものを生産・消費していることが、環境問題の根源にあると考えています。循環のバランスが人間によって崩れている。だから、人間が自然をコントロールするのではなく、人間は自然のなかで自分たちの役割を適正に果たすことを考えるべきではないでしょうか。

 

ブロガソン5記事目。

頭が疲れてきました。日を改めてわかりにくい箇所を修正します。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『森崎書店の日々』レビュー

 

何ヶ月か前に映画を観てハマり、いよいよ今月本で読むことができました。

森崎書店の日々。過去に患った悲しみから立ち直ろうとする人間を描いた本です。

 

何かしないといけない焦燥感

 

主人公の貴子は、恋人にフラれたショックで仕事をやめ、叔父が経営する神保町の古書店に居候をしていました。

 

寝て起きて食べての繰り返しのなかで、「意味のあること」を何もしていない自分にわだかまりを感じていました。

 

わたし……こんな風に何もしないで、時間を無駄にしてるかな……。

 

無駄なことなんてないよ、と。

僕は貴子に言ってあげたくなりました。

 

有意義なことをしたいと思う気持ちに追われる経験ってありませんか?

食っちゃ寝の日々が続いて、ダラダラ過ごす自分に嫌気がさすことつてありますよね。

 

でも、意味のないことなんてない。

何をすることに意味があるのかは、生きる意味を知り得た人にしかわかりません。

 

自分なりにどうして生きるのかを精一杯悩みながら、生きる意味を叶えるために生きる。

 

 そうやって積み重ねた1日1日が、後から振り返って大切な時間だったということに気づく。

 

自分の可能性を必死に探す

 

悩む貴子に対して叔父が伝える言葉。

叔父もまた悩みながら生きてきた人だから、重みのある言葉として響いてきます。

 

僕はいろんな世界を自分の目で確かめてみたかったんだ。それで、自分のいろんな可能性を見てみたかった。誰か他の人のものじゃない。自分だけの人生というのを知りたかったんだよ。

 

自分の知らない世界が果てしなく広がっていて、未知の世界に憧れて、自分の可能性が他に何かある気がして、いろいろなところに足を運ぶ。でも、知らないということから解放されることはできない。

 

どこに行っても、とれだけ本を読んでも、自分はまだ何も知らない、何一つ見てないんじゃないかって気にもなったよ。それが人生というものさ。いつだって迷いながら生きていくんだ。

 

知らないことを知るためにあっちに行ったりこっちにいったりするけど、結局求めているものは自分の可能性。自分はこれからここで生きていくんだと、胸を張って言える場所を探しているだけかもしれない。

 

動いて、いろんなものを見て、そこからいろんなものを学び取ろう。そして自分の居場所、自分がそこにいてもいいと自信を持って言える場所を探そう、と。

 

自分は何をすればいいのか

 

今、若者はありとあらゆる生き方を選択できる時代に生きています。

恵まれていることに対して感謝しないといけない。たしかにそうだけど、だからこそ何をすれ

ばいいのかを悩む人はとても多いと思う。

 

もしあなたも貴子と同じように悩んでいるなら、僕はこの本をおすすめしたい。

叔父の言葉はきっとあなたに届くと思う。

 

そう、それは心の問題なんだ。どこにいようと、誰といようと、自分の心に正直でいれば、そこは自分の場所なんだ。

 

 

農地法まとめ

 

こんにちは。

今回は日本の農地制度の概要を辿りながら、これからの社会に必要なことについて考えます。この記事を読めば、農地法をバッチリ勉強できちゃいますよ!

 

戦国から江戸

 

日本の農地制度を辿れば、豊臣秀吉まで遡ります。 天下統一を果たした秀吉は、反乱が起きないための統治をつくっていきます。

 

太閤検地によって村の土地を把握し、石高に基づいた徴税を行います。そして、農民が農地を売買することを禁止します。農地の規模拡大によって勢力をもつ農民をつくらないためです。刀狩令によって反乱の手段も失わせました。

 

江戸時代においても、田畑永代売買禁止令による農地の売買を軸として、この政策が継承されています。

 

士農工商という身分関係によって農民は武士に次いで2番目の地位を認められていましたが、実質的には最下位。生産意欲を保たせるために、商人をわざと下位の地位に定めたといわれています。

この時代の農民は、支配される側の人間として協力に管理されていたのです。

 

明治維新

 

明治維新における改革は、農地制度にも強い影響を与えます。農民の農地に対する所有権が認められたのです。それまでは領主のものだったため、土地を取り上げられる可能性が常にあり、不安定な地位のなかで耕作することを強いられていました。四民平等によって農民はその地位を認められたのです。

 

所有権が認められたことによって、農民の生産意欲が急激に高まります。その頃頻発していた武士の反乱を鎮圧する費用が必要だったこともあり、政府が不換紙幣を大量に発行したためインフレが生じ、米価も上昇していました。

 

過度なインフレを抑えるため、松方正義によってデフレ政策が実質されました。これによって、米価は下落。農民は税金を納めることができなくなってしまいました。

 

農民は、土地の「所有権」を担保にしてお金を借り、税金に充てます。結果、返済できない農民は土地の所有権を失ってしまいます。

領主との関係性・信頼性のなかで実質的な土地の所有が認められていた江戸時代に対して、所有権は売買の対象として切り売りされるようになったのです。

 

ただ、金貸しは農民から農地を取り上げず引き続き耕作をさせ、高額な小作料を徴収するようになりました。奇生地主制の始まりです。

 

 資本主義と農村

 

 近代社会が発展していく過程で、農村は常に搾取される対象でした。 

 

地主は小作人から巻き上げた高額な小作料を投資します。小作料が支払えない小作人は、口減らしのために子どもを出稼ぎに行かせ、子どもは低賃金労働者として働くようになります。

 

農村が疲弊していくことによって都市が発展し、日本資本主義は成長したのです。

 

資本主義の発展が農産物市場を形成したため、農民の生産意欲は高まりました。

しかし、その労働環境や小作料に対する不満も高まるばかりで、ついには小作争議が全国で頻発する事態に至りました。

 

 戦後農地改革

 

小作人を解放するために、国が地主から土地を強制買収し、小作人に引き渡しました

そして、現在の農地制度を基礎となる農地法が制定されます。

 

農地法の要旨は、

不在地主の全小作地と、在村地主の1haを除いた小作地の強制買収

②農地保有限度(北海道12ha・本土3ha)

③在村地主に残された小作地での最高小作料率の設定と、小作料の金納化

④農業従事者以外の農地売買・賃貸借の禁止

⑤農地の賃貸借をする際に、当事者の合意に加えて都道府県知事の許可が必要。賃貸借契約更新を拒絶するためにも知事の許可が必要

 

農地以外の売買・賃貸借契約は、当事者の自由な意思に基づいて行われ、国によって規制を加えることは許されていません。

 

農民が自分の所有物として農地を耕作することができるように、法律によって特別に強力な保護を与えたのが農地法です。

 

今、農地法の役割

 

農地法は歴史的な役割を果たし、今や存在意義を失った。他の所有権と同じように自由に売買できるよう改正することで、農産物市場を活発化させることが必要だという考えが大勢を占めてきました。

 

この考えに伴い、農地法は次々に改正されていくことになります。

 

耕作者主義


農地法の大切な原則に、耕作者主義というものがあります。これは、農地の耕作や養畜などの農作業に常時従事している人でなければ、農地の売買・賃貸借ができないという規定。農地法の要旨の4番目です。

 

なぜこのような規則があるのか。答えは、農地の所有者は、その地域の担い手となることが求められているからです。

 

田んぼの水路は上流から下流へと流れます。誰かが掃除を怠れば、または水をとりすぎれば、下流の田んぼへ水は流れない。
水路が詰まらないために、そして景観を保つために、草刈りをする必要もあるでしょう。

田畑を持つということは、これらのような責任が発生することでもあります。

 

地域とまったく関わりのない人が農地をもったら、共同管理が難しくなることはいうまでもないでしょう。

 

2009年の改正では、常時農業従事者以外でも農地を自由に賃貸借することができるようになりました。簡単に言いかえれば、誰もが自由に農業に携わることができるようになってきました。

 

この流れによって、産業としての農業は潤うでしょう。しかし、農村のコミュニティをあまりにも軽視しすぎると、別の問題を生じさせかねないことも考慮するべきだと思います。

 

農村社会から学べること

 

 農村社会を見直してみると、学べることはたくさんあります。

 

前述したように、自分たちが住む地域の担い手として共同体を守る意識には見習うものがあるでしょう。

人に任せる社会 - 大学生4年生の頭の中

 

分け与える文化も考えてみると面白いですね。

所得格差の解決や富の分配が課題とされるなかで、農村では自然とないものを分け合っていました。田舎に行ってといろいろと物をもらった経験はあるのではないでしょうか。

 

改めて日本の暮らしを見直して、現代社会に足りないところを取り入れる工夫ができたらいいですね。

 

 

1ヶ月農業修行

 

 

夏の終わり。みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は今日1ヶ月の農業修行を終え、高知最後の日を満喫しています!

 

今回は、お世話になった土佐ひかりCDMについて、感じたことを含めてまとめていきたいと思います。ちなみにただ今、ブロガソンに参加中。1万文字のブログマラソンを走り抜くぜよ!

 

参加したきっかけ

 

どうして農業修行をしようと思ったか。僕が一次産業に興味をもっていることについては、別記事を紹介させてください。

 

簡単にまとめると、自分の暮らしの根幹を支える部分について無知でいることへの不安。人が暮らす社会と生産の現場がかけ離れていることへの違和感から、一次産業の現場を自分の目で見て回ることにしたんです。

 

自然と人間との関わりをつくる。 - 大学生4年生の頭の中

 

その上で土佐ひかりに興味をもったわけ。この会社の事業としては、ニラと卵の生産。当初は肥料づくりまでを自社で行っていました。このような複数の事業が繋がりをもって循環している仕組みに惹かれて、参加を決めました。

 

肥料を作り、その肥料で野菜をつくり、その野菜を飼料にして卵を作る。一から自分たちでこだわってつくることによって、高知県の原材料にこだわった価値のある製品をつくることができる。詳しいことはぜひホームページを読んでみてください。

 事業紹介|株式会社土佐ひかりCDM

 

今までそれぞれに見て回ってきた一次産業の現場と、そこから学んだことに繋がりをもたせるきっかけを作ることができればいいなと思っていました。

このことについては社長から直々にお話を聞かせていただくなかで、考えることができました。結局問題を捉えるときは、多角的な視点が必要になる。詳しくは別記事を…笑。

一次産業は全部つながってる - 大学生4年生の頭の中

 

別記事で済ませるあたり伝わると思いますが、このインターンで勉強できた重要なことは他のことでした。ひとつずつ紹介していきますね。

 

目標を定めること

 

たとえばニラを刈る作業があるとします。ニラを刈るように言われて作業を開始し、終了の合図があるまで続けるとしたら、いつ終わるかのわからない、果てしない作業になってしまう。

 

だから、作業を始める前にその日にこなす仕事の目標を定め、それを達成するために働く必要がある。達成するには今やっている作業を何時までに終わらせなければならないかを意識して作業をする。

 

目標を定めることは、働きすぎることを予防する役割も果たしてくれます。

たとえば1時間で終わらせれば目標を達成できるのに、スピードを上げて30分で終わらせたとします。余った30分でさらに働くことはできるけど、それでは際限なく仕事が続いていくことになります。

 

いくら稼ぎたいのか。そのためにはどれくらい働く必要があるのか。このことを考えた上で目標を立てたならば、計画以上働く必要はない。

 

しっかりと計画を立てて、実現するために働く。達成具合を確認して、その修正をする。

PDCAサイクルを循環させることの大切さを勉強させていただきました。

 

モチベーションの管理

 

1ヶ月のインターンでしたが、仕事は決して楽なものではありませんでした。人生最後の夏休みに、なぜこれほど過酷な労働をしているのだろうと、働く意味を自分の中で整理することができていませんでした

労働者は基本、対価として賃金を得ることで自らの労働力を提供します。インターンシップならば、賃金の代わりに知識と経験をもらう。

そうだとすると、自分のなかで何を学びたいかを明確にして作業に臨まなければ、働くことの意味がわからず、やる気が保てない。

何のためのインターンか。モチベーションの管理のためにも、その目標を定めてから作業をする必要があることに気づきました。

 

アウトプットも同じくらい大事だなと。学んでいる実感がもてないと仕事に対する気持ちも下がるから、いつの間にか上の空になる時間も増えて、作業効率が落ちる。

 

インターン生としてのPDCAをつくって働くことも大切だと思いました。

 

仕事的人間関係


少ないながら生きてきた人生のなかでも、人間関係で苦労することはよくあります。
ただ、仕事における人間関係は特殊で、自分が相手に求めることと、相手が自分に求めることを理解することが大事だということに気づきました。

 

それに応えられはないとき、その原因を考える癖をつけること。他の人と比較して、自分の動きを修正すること。大事だと思うので、これからも課題として考えていきたいと思います。

 

人生のなかで今やりたいこと

 

土佐ひかりCDMは成長段階にある会社で、社員の負担は通常より大きい。労働の対価として賃金があるとすれば、決してそれが釣り合っている状態とはいえない。

そのなかでどうモチベーションを管理しているのかを聞いた時に、時間的な視野を広くもつことの大切さを教えていただきました。

 

年齢が上がるにつれて、フットワークは重くなる。結婚や子育てなどを含めた社会的責任が増えていき、身動きがとりづらくなる。

そうだとするなら、21歳の自分に必要なことは何か。背負うものの少ない今、お金をより多く稼ぐことよりも、経験を貯めることの方が重要なのかもしれない。

 

働くことの対価を賃金に留めず、知識や経験も含めた学びをやりがいに変えていく姿勢をみて、働く意味を勉強することがでしました。

 

働くこと自体を考える時間

 

大学卒業後に何がやりたいか。どの仕事を選択するか。今まで考えてきたことに加えて、仕事をする上でどういう風に働くか。なんのために働くかを考える機会になりました。

 

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4年生という微妙な時期に、働くことの具体的な部分まで考えることができてよかったです。

1ヶ月インターンシップをやりきった達成感を自信に変えて、お世話になった方々に良い報告ができるように次に進みたいと思います。

 

真夏の農業修行。これにて終了です。

どうもありがとうございました!

 

 

 

 

 

人に任せる社会

 

今回は、コミュニティについてお話をしたいと思います。漠然とした言い回しですが、僕は将来田舎に住みたいと思っています。これには、一次産業の現場で働くこととはまた別の理由があります。

それは、かつての農村社会がもっていたシステムや慣習に、「社会としての強さ」を感じたからです。

 

隣人を知らない社会

 

こうみえて僕は法学部なので、法社会学について少しお話をします。なぜ警察が誕生したかという、治安の法社会学です。

 

警察の歴史は浅く、誕生したのは19世紀になってからです。それまでは戦争が当面の課題で、国内の治安は後回しでした。

 

警察の必要性が増大したことは、大都市の発生によるものがあります。

農業社会・前期近代工業社会においては、家族内で自分たちの生活を賄うための仕事をしていました。それが後期近代工業社会に入り、社会全体で生産活動を行うようになったため、より良い仕事を求めて人々が移動するようになります。この移動により、大都市が誕生しました。

 

濃い人間関係のもとで成立していた社会から、知らない々が身近に住む社会へ変容していきます。犯罪者「かもしれない」人と同じ社会で生活するようになったことで、治安を統制するプロフェッショナル、つまり警察が必要とされるようになったのです。

 

当事者意識の希薄な現代

 

村八分という言葉があります。これは、葬式の世話と火事の消化活動という、放っておくと迷惑を被る二分のこと以外は関係を断つことを意味しています。残りの八分は、成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行です。

 

つまり、かつては自分たちで治安を統制することのできる社会がありました。現在でも田舎に行くと、この文化を感じることがあります。

 

治安だけではありません。三重県南伊勢町の阿曽浦という漁村に滞在中に聞いたお話を紹介します。

 

その漁師さんが子どもだった頃は、お金を払わなくても商店で買い物ができたそうです。

というのも、持っていく品物をお店の人にみせていくことで、店主は親が買い物に来た時にその代金を支払ってもらっていたというのです。

 

つまり、かつては子どもの世話も地域全体で行うことができました。今では、同じマンションに住む大人が子どもに挨拶をして、変質者と疑われて訴えられる時代です。

 

他人に任せる社会 

 

 分業制をベースにした社会の発展によって、「人まかせ」が顕著になっている気がします。

自分の仕事はやるけど、それは自分の仕事ではないからやらなくていい。この考えが、当事者意識を失わせてはいないでしょうか。

 

選挙の投票率の問題も同様です。

政治は政治家がやるもので、自分の仕事じゃない。だから、興味をもつ必要がない。結果として投票率は低いままです。

 

政治は政治家が、治安は警察が、子育ては教師がやる。自分の仕事だけやればいいという考えが、自分の住む地域への関心を薄めている。住民の当事者意識が低いと、社会としての強さが失われていきます。

 

犯罪を取り締まるために必要なのは法律じゃない。地域の人間関係こそ、地域を守るために大切なこと。

 

 僕が田舎に住みたい理由は、人とのつながりを大切にして生きたいからです。

まあ、実際に田舎に足を運んでみると、その人間関係の濃さが面倒に感じることもありますけどね笑。

 

いずれにしろ、自分が住んでいるコミュニティを大事にすることは大事ではないでしょうか。