大学生4年生の頭の中

人と自然との関わりのなかで持続可能な暮らしを考える、大学4年生のブログ。

人に任せる社会

 

今回は、コミュニティについてお話をしたいと思います。漠然とした言い回しですが、僕は将来田舎に住みたいと思っています。これには、一次産業の現場で働くこととはまた別の理由があります。

それは、かつての農村社会がもっていたシステムや慣習に、「社会としての強さ」を感じたからです。

 

隣人を知らない社会

 

こうみえて僕は法学部なので、法社会学について少しお話をします。なぜ警察が誕生したかという、治安の法社会学です。

 

警察の歴史は浅く、誕生したのは19世紀になってからです。それまでは戦争が当面の課題で、国内の治安は後回しでした。

 

警察の必要性が増大したことは、大都市の発生によるものがあります。

農業社会・前期近代工業社会においては、家族内で自分たちの生活を賄うための仕事をしていました。それが後期近代工業社会に入り、社会全体で生産活動を行うようになったため、より良い仕事を求めて人々が移動するようになります。この移動により、大都市が誕生しました。

 

濃い人間関係のもとで成立していた社会から、知らない々が身近に住む社会へ変容していきます。犯罪者「かもしれない」人と同じ社会で生活するようになったことで、治安を統制するプロフェッショナル、つまり警察が必要とされるようになったのです。

 

当事者意識の希薄な現代

 

村八分という言葉があります。これは、葬式の世話と火事の消化活動という、放っておくと迷惑を被る二分のこと以外は関係を断つことを意味しています。残りの八分は、成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行です。

 

つまり、かつては自分たちで治安を統制することのできる社会がありました。現在でも田舎に行くと、この文化を感じることがあります。

 

治安だけではありません。三重県南伊勢町の阿曽浦という漁村に滞在中に聞いたお話を紹介します。

 

その漁師さんが子どもだった頃は、お金を払わなくても商店で買い物ができたそうです。

というのも、持っていく品物をお店の人にみせていくことで、店主は親が買い物に来た時にその代金を支払ってもらっていたというのです。

 

つまり、かつては子どもの世話も地域全体で行うことができました。今では、同じマンションに住む大人が子どもに挨拶をして、変質者と疑われて訴えられる時代です。

 

他人に任せる社会 

 

 分業制をベースにした社会の発展によって、「人まかせ」が顕著になっている気がします。

自分の仕事はやるけど、それは自分の仕事ではないからやらなくていい。この考えが、当事者意識を失わせてはいないでしょうか。

 

選挙の投票率の問題も同様です。

政治は政治家がやるもので、自分の仕事じゃない。だから、興味をもつ必要がない。結果として投票率は低いままです。

 

政治は政治家が、治安は警察が、子育ては教師がやる。自分の仕事だけやればいいという考えが、自分の住む地域への関心を薄めている。住民の当事者意識が低いと、社会としての強さが失われていきます。

 

犯罪を取り締まるために必要なのは法律じゃない。地域の人間関係こそ、地域を守るために大切なこと。

 

 僕が田舎に住みたい理由は、人とのつながりを大切にして生きたいからです。

まあ、実際に田舎に足を運んでみると、その人間関係の濃さが面倒に感じることもありますけどね笑。

 

いずれにしろ、自分が住んでいるコミュニティを大事にすることは大事ではないでしょうか。

 

 

生きる力をつける

 

 

僕が一次産業に興味をもった理由は、一人暮らしをした時に感じたことが影響しています。

 

自分が生きるためにどれくらいのお金と労力がかかるのかを知りたいと思い、「生きる力」をつけるために一人暮らしに始めました。

 

でも、実際に一人暮らしをしてみて感じたのは、全然自分の力で生きることのできない無力感だったんです。

 

スーパーやコンビニで食材を調達して、それを調理して食べればたしかに自炊力がつくけど、そもそも買ってきた食材がどうやって作られているのか、自分は知らなすぎるんじゃないか。

その恐怖感から、生産の現場を回るようになったんです。

 

もちろんすべてのことができるようになろうとは微塵も思っていません。でも、自分が食べているもの、着ている服、住んでいる家。暮らしに直結する衣食住に関して何もできないのは、人間として弱いなと思ったんです。

 

お金を払えば何でも買える時代だから、お金をもっていると何でもできると考えてしまいがちです。でも、お金を払って買っているものにはそれぞれ生産者がいて、その人が作ってくれるおかげで、暮らすことができる。

 言い換えると、お金に依存しすぎると何もできない人間になってしまう危険があるのではないでしょうか。少なくとも、お金ではなく他人のおかげで生活ができていることを自覚しておく必要があるはずです。

 

資本主義をベースにした分業制は効率が良いけど、生きるための根幹の部分まですべて他人に任せておくことには違和感があります。

 

自分自身の暮らしに対してもう少し関心をもって生きたい。

 

僕の人生の目標は、百姓になることです。

百姓とは、単に農家を指す言葉ではありません。百の生業をもつ暮らしのプロフェッショナルです。

 

自分なりのこだわりのある暮らしをつくること。そして、自分の生活に関することを、それなりに自分でできるようになりたい。できることを少しずつ増やしていって、生きる力を身につけたかっこいい人間になれたらいいなと思います。

 

 

こだわりが価値を生む

 

僕は大学を卒業したら、「本当に」価値のあるものをつくる人になりたいと思っています。詳しく説明していくつもりですが、今回のテーマはこだわりです。

 

これからの時代は、何が価値のあるものなのかを改めて考える必要があると思います。なぜなら、現在まで続いてきた経済・競争至上主義に限界を感じるからです。

何のために経済は発展するのか - 大学生4年生の頭の中

 

モノで溢れる時代に大量生産をし続ける。すでに裕福なのにお金を稼ぎ続ける。その結果、今の社会には必要以上のものが存在している気がします。

ミニマリスト志望 - 大学生4年生の頭の中

 

フードロスが問題になっていますね。世界では、生産されている食料の3分の1が廃棄されています。少し調べて驚きましたが、一度も食べられることなく捨てられる食料をつくるために140億haの土地が、そして琵琶湖の9倍の量の淡水が使われている計算になるそうです。

【参照: フードロス・チャレンジ・プロジェクト - FOODLOSS CHALLENGE PROJECT

 

捨てられてしまうものをつくることに、価値はあるでしょうか。フードロスは分配の問題でもあるのでないと言えば間違いでしょうが、生産者ならば捨てられないものをつくりたいと思うのは当然だと思います。

 

何に価値があるのか。

近頃は有機農業などが話題ですね。有機農業神話が存在しているのは事実ですが、なぜ話題になっているかということを考えることで、これからの時代で本当に価値のあるものは何かが見えてくる気がしています。

有機野菜だからおいしいの? - 大学生4年生の頭の中

 

こだわりをもつことが価値のあるものとして認められるようになってきた。

 

安価なものを大量に生産すれば、その分捨てられる量も増える。だから、そうではなくて、高価でも手間暇をかけて作られたこだわりのあるモノが求められているのではないでしょうか。

 

一次産業の世界で働く決意は、僕のなかで確固たるものになってきています。そのなかで、本当に価値のあるものをつくるためには何が必要なのか。考えていきたいと思います。

僕の人生の三要素

 

 

社会についての記事が続いているので、今回は僕の人生観をテーマに据えてお話します。

 

人生において肝心な要素。つまり、何があれば「良い」人生をおくることができるでしょう。

 

やりたいこと

 

僕の人生の三要素。

1つ目は、「やりたいこと」です。

なぜ生きるのかということを考えたことは、誰しも一度はあるはずです。正解がわからないからこそ、人それぞれでいい。でも、その人が生きる意味は、その人が決めるべきです。極端な話、人生は意味づけしない限り、それ自体では意味のないものではないでしょうか。

だから人は、必死で今までの過去を肯定して、点と点を結んで、「今までやってきたことは間違いじゃなかった」と、自分を納得させる。

 

なぜ生きるのか。

それを決めるために、やりたいこと、つまり夢や目標をもつことは欠かせないものだと思います。

 

やること

 

僕の人生の三要素。

2つ目は、「やること」です。

僕はやりがいや充実感が好きです。

「何もやっていない」自分に対して、イライラします。恒常的に何か意味のあると感じることができる環境が必要だと思います。

 

とくに重要なのが、今やっていることが、自分自身で意味のあるものだと感じることであるということです。つまり、やりたいこととやることが一致している状態が理想です。

やりたくもないことをやるのは、その人の人生にとっては意味がないということです。もちろん、やりたいことをやるために必要な努力を怠ってはいけないでしょう。

 

やってあげること

 

僕の人生の三要素。

3つ目は、「やってあげること」です。

僕は誰かから求められることが好きです。いくら自分では意味のあるものだとしても、他人から認めてもらえなければ、苦しい人生が長く続くはずです。人とのつながりのなかで、自分にできることを誰かにしてあげる。これも欠かせない要素だと思います。

 

三要素が同じであること

 

やりたいことをやって、それが人のためになる。つまり、やりたいこととやることとやってあげることを自分のなかでつなげる。

それは、必ずしもやりたいことが最初にくるものでもないと思います。今やっていることの意味にあとで気づくこともあるし、誰かから感謝されて、それが自分のやりたいことになることもあります。

 

今、僕はやりたいことがあります。

大学を卒業したあと、それをやることができる環境に住み、働くこと。これを実現することが当面の目標です。

 

人それぞれの人生の意味。

あなたは何のために生きますか?

 

 

何のために経済は発展するのか

 

 

今回は現代社会の仕組みがテーマです。僕の価値観の中枢部分なので、これから書くことは今までもよく話してきました。

 

はじめに、今の社会はどのように成り立っているかを確認しておきましょう。

日本は資本主義を採用していて、利潤と効率性を上げることで人・モノ・お金の循環を活発にし、経済を発展させていきます。

お金を稼ぐためにモノを生産する。モノを生産するために人を雇う。その労働によって稼いだお金でモノを買い、消費する。

この生産消費活動が大規模化・活発化し、モノで溢れた物質的に豊かな国、そして雇用が充実した金銭的に豊かな国が、現在の日本です。

 

なぜ発展するのか。

 

お金とモノと雇用が安定すれば衣食住に困る人は減るので、社会は発展するべきでしょう。

 

しかし、日本はすでに物質的に豊かな国で、飢えて死ぬ人はほぼいないどころか、大量のモノが捨てられています。社会保障の質が高いかはさておき、制度上の扶養もある程度充実しているといっていいはずです。

 

では、これ以上豊かになることで得られるものは何か。つまり、何のためにこれ以上経済を発展させるのかを考える段階に来ているのではないでしょうか。話をわかりやすくするために、限界集落・久多に滞在していた時に聞いたお話を紹介します。

 

時代は50年以上前、一家に一台洗濯機が置かれるようになりました。それまでは手洗いだったので、洗濯のために相当な手間と時間を割く必要がありました。だからこそ洗濯機を見たときには、これからの時代はどれだけ便利で楽な生活ができるのだろうと想像したそうです。

 

全然生活は楽にならない

 

たしかに、ボタンひとつ押すだけで洗濯が終わる便利な時代になりました。でも、その短縮された時間を使って、人間は働き続けます。

 

「全然生活は楽にならなかった」

 

村民が期待した生活は成立しませんでした。

 

 

今、新幹線があることによって東京大阪間を3時間弱で移動できるようになりました。昔何日もかけて移動していたのに比べれば、なんて楽な社会になったでしょう。

そしておそらく、今後さらに短縮されていきます。でも、どんなに便利になったとしても、生活が楽になることはない。空いた時間で人間は働いてしまうのです。

 

おかしいとは思いませんか?

どうしてこれほど発展した社会で、長時間労働が問題になっているのでしょう。便利になっているはずなのに、どうしてやることは増え続けるのでしょうか。

 

そもそも、人間が生きるために必要とされる仕事量が時代によって大きく変わることはないはずです。それなのに仕事が増える理由は、さらに便利な社会にするためか、もしくは本当は必要のない仕事があるのかもしれません。

 

経済活動のスピードを落とせば、この競争市場主義社会のなかで生き残ることはできない。

だから、競争相手に負けないために発展し続けることを余儀なくされている。

 

でも、自分たち自身を消耗させて、地峡環境をも消耗させて、それで手に入れられるものって一体何だろう。

 

すでに充分便利なのにそれ以上の発展を求めれば、永遠に真の豊かな生活は訪れないのではないでしょうか。

 

 新しい社会の方向性を考える時が来ている気がします。僕の考えはコチラ↓

ミニマリスト志望 - 大学生4年生の頭の中

 

海外に目を向けると、日本とは真逆の出来事が進行しているということはよくあります。

アフリカでは人口が増え続け、食糧不足が問題となっていますが、日本ではフードロスが問題視され、少子化が深刻です。

 

同じように、途上国と日本を含めた先進国の発展の在り方を同じ土俵で考えるべきではないとは思います。経済発展は無意味だと主張するつもりもありません。

でも、先進国だからこそ新しい価値を考えることが求められています。

こだわりが価値を生む - 大学生4年生の頭の中

 

改めて問います。

何のための、経済発展でしょうか。

 

有機野菜だからおいしいの?

 

土佐ひかりCDMインターン2日目です。学び多き日々が続きそうですが、暑さとの戦いも深刻です。

 

今日のテーマは「有機農業」です。

そもそも有機農業って何なんでしょう。有機農業の推進に関する法律に、その定義が記載されていました。

 

第二条  この法律において「有機農業」とは、化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業…

 

なるほど……。

わかったようでわからないこの曖昧な定義を紐解いていきましょう。

 

有機農業神話

 

なぜ僕が有機農業に疑問をもっているのかを最初にお話します。まず僕は、消費者の意識に違和感があります。

 

有機農業だからおいしい。有機農業だから安全。「有機」という言葉のもつイメージが先行しすぎて、結果として有機農業神話のようなものが存在しているような気がするんです。

 

たしかに、環境破壊が社会問題として意識されるようになった現代において、地球に優しい育て方を目指すことは農家の使命でもあると僕は思います。農業は生産するでなく、人と自然とのつながりをつくる役割も担うことができるからです。

自然と人間との関わりをつくる。 - 大学生4年生の頭の中

 

自然界の多様性

 

 しかし、有機農業だからおいしくて安全であるという論理は間違っていると思います。

 

僕も専門ではないので詳しい話はできません。ただ、土には無数の微生物や虫が存在していて、土壌の成分に至っては、ケイ素・アルミニウム・鉄・その他諸々の構成元素の組み合わせで変化します。

 

自然に任せることは、必ずしも良い結果を生むわけではないということを、まず認識する必要があるのではないでしょうか。

 

それらの土の栄養をコントロールするために農薬や肥料があるならば、むしろその方がおいしい作物が生産できると考えるのが自然です。

 

有機農業の重み

 

つまり、有機農業によって安全美味な作物を生産するには、相当な知識と経験の積み重ねが必要になる。それでも有機農業にこだわって生産されているから、価値が認められる。

 

結論としては、有機農家って本当にすごいよねと。そのこだわりを知った上で考えると、有機農業への価値観もまた変わる気がします。必ずしも安全美味が有機農業の魅力ではないのかもしれません。

 

農業って難しい……。

今日は以上です。明日も頑張ります。

 

一次産業は全部つながってる

 

まるで日記のようなブログになりそうですが、8月は毎日更新したいと思います。

今日から約1ヶ月、高知県にある土佐ひかりCDMさんのところでインターンをすることになりました。

 

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ニラの収穫。もっているのは雑草。

 

 この会社については、知識が深まってから随時伝えていきたいと思っていますが、今日お聞きしたお話のなかで印象に残っていることをひとつピックアップしてお話します。

 

産業を複合的に捉える

 

たとえば、耕作放棄地があったとします。この土地を耕作地に変えるためには、おそらくやる気で耕してどうにかなる問題ではない。

なぜなら、そもそも耕作放棄地になった理由が存在するはずなんです。

 

仮にそれが獣害が原因だとします。

獣害は電柵を張れば解決するでしょうか?

狩猟をすれば済む話でしょう?

手段としては有効でも、抜本的な対策にはならないはずです。 

なぜなら、獣害が問題となったそもそもの原因は解決しないからです。

 

つまり、山を整備する必要がある。

植林によって生態系が単一化し、餌の少ない状況を生み出している山の現状を変えないことには、問題は解決しないはずです。

 

針葉樹林は保水力がないため、水不足の問題も同時に引き起こしているでしょう。

川が枯れると、海にミネラルが注がれない。プランクトンが減って、魚が育つ海洋環境が崩れてしまいます。

 

正解を捉えることは正解じゃない

 

それでは、耕作放棄地の問題を解決するために必要なことは何でしょうか。 

 

「解決策はこれだ!」という何か一つのものがあるわけではない、ということは確かです。

 

だから、一方面からではなく多角的なアプローチが必要になってくる。

 

もともと日本の農村社会において、農家は農地の耕作地以外に山林の管理をしていました。

木を切り、薪を割って、田畑を潤すために川から水をひいてくる。農家によっては牛・鶏・山羊を飼育していました。

 

それらの活動が、所有権や分業制の概念によって分離してしまったことで、相互補完作用が機能しなくなってしまったのではないでしょうか。

 

最重要課題は教育にある

 

耕作放棄地への多角的なアプローチが必要であることは前述しましたが、そのなかでもとくに重要な要素は、教育だそうです。

 

僕自身まだ教育を受ける側の人間なので、その役割への意識が薄いかもしれません。

 

でも、何かの問題を解決するためには、その主体となる人間がいないことには何も始まらない。教育が根幹にあり、かつ観光などの人を取り入れる要素が大切になってくる。

 

田畑・酪農・養鶏・狩猟・林業・漁業・教育・観光。

 

これからの時代を生き抜くには、六次産業という言葉にとどまらず、産業を複合的に捉える広い視野をもつ人間にならなければならないのではないでしょうか。

 

 

さて、明日からは5時起きだそうで、引き続き気合を入れて勉強していきたいと思います。